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DAIWA 源流の郷 小菅村
DAIWA 源流の郷 小菅村
豊かな森が水を育み、水がいのちを育みます。
次世代を担う子どもたちに、水の尊さを自ら体感して欲しい、と考えております。
源流の山里、そこに暮らす人々が森林を育て、その森林が生きた水を育み、そして海をも豊かなものへと保ちます。
水がいのちを育む、その源とも言える豊かな森林「源流の郷」をお伝えします。
源流探検部が行く 第9回
多摩川の最初の1滴を見に行く
多摩川の最初の1滴を見に行く
砂金に動物の足跡…山は驚きがいっぱい

川を見て、こう思ったことはないだろうか。「この水はどこから来るんだろう?」と。

川の成り立ちを大まかに説明しよう。山に降った雨や雪が地中に染み、再び湧き水として顔を出す。この湧き水が沢となり、小さな流れが集まって川となっていく。源流探検部が毎月訪れている山梨県の小菅村のあちこちでも、沢が湧き出している。その沢の水が集まり、多摩川の源流である小菅川を形作っているというわけだ。

山のあちこちで日々生まれ、川を作る無数の湧き水。では、その最初の一滴は、いったいどこで生まれているのだろうか? そこで今回の源流探検部は、多摩川を作る最初の一滴を見に、山梨県の笠取山に登ることにした。

東京都の水道水源林になっている笠取山は、森林管理のための道が整備されており、その道が登山道として利用できる。そのため、初心者でも比較的トライしやすい山として知られている。

登山道の入口・作場平口は、小菅村役場から車で約1時間。源流探検部は全員登山初心者とあって、今回はいつもに増して心強い味方が一緒に登ってくれることになった。小菅村役場から、いつも源流探検部をサポートしてくださる青柳さんと、村役場の若手四人の若手職員の皆さん(小菅で生まれ育ったエリコさんとサヤカさん、小菅の自然が好きで移住したミキくんとトレイルランが趣味のコバヤシくん)。さらに、登山が趣味という舩木直美村長が案内役を買って出てくださった。

案内役として同行してくださった小菅村の舩木直美村長。村長のリュックが大きく膨らんでいる理由は、お昼時に判明することになる。

午前9時、登山開始。鬱蒼とした森に入ると、爽やかな香りに包まれた。歩き慣れた小菅村の森のふわりと柔らかい香りとは少し違う、キリッとした香り。そう言うと、青柳さんが「木の種類が違うからかもしれませんね。いつもの小菅村の森はスギやヒノキが大半ですが、ここはカラマツが多いんですよ」と教えてくれた。

山梨県と埼玉県にまたがる笠取山。東京都の水道水源林となっており、整備と管理に使われる道がそのまま登山道として使うことができる。

小川沿いの登山道は、丸太の橋を何度も渡るものの、平坦で歩きやすい。汗をかかずに長く歩けるよう、息の上がらないペースで歩く。

先頭を行く舩木村長が、丸太の橋のたもとで「砂金です」と川底を指差した。覗き込むと、川底の石の表面で金色の粒がキラキラと光っている。水晶のように澄みきった水だから、目を凝らさなくてもよく見える。笠取山の南東方向の黒川金山跡では武田信玄の時代に盛んに採掘されていたらしい。

歩き始めてしばらくは、川底が見えるほど水が澄んだ沢に沿って道が続く。途中、橋から小川をのぞくと、川底で砂金がキラキラと光っていた。
真っ白な霧の中に見えた、水の分かれ道

平坦な山道を進んだ先に、山の斜面に獣道ができていた。山の上から降りてきた動物が、登山道を横切るように降りていったのがわかる。小さな足跡を見つけた舩木村長が、「たぶん、鹿でしょう」と教えてくれた。

川をいくつか越えたところで、舩木村長が今度は笹薮を指差した。

「この辺りの笹薮はみんな枯れているでしょう。笹はおよそ50年に1度のサイクルで枯れると言われています。笹が枯れると餌が不足するので、鹿たちが木の皮を剥いで食べたり、わさび田や畑の作物を荒らしてしまうんです」

川を隔てて、一斉に笹薮が枯れた一画があった。笹薮が枯れると餌が不足するため、鹿は木の皮を剥いで食べることも。皮を剥がれた木はやがて枯れる。

平坦だった道が細くなり、傾斜がきつくなっていくにつれて、汗を拭く回数も増えていく。出発から1時間で、長めの休憩ポイントである笠取小屋に到着した。作場平口の標高1,310mに対し、笠取小屋は標高1,776mとあって、汗が引くと寒い。アウトドア用のレインウエアを羽織って再び出発した。

大木が並ぶ森を抜けると、急に視界が開けた。向こうに見える小さな丘とその周辺だけ、森ではなく草地が広がっている。しかし、丘の周囲はまるで雲がそのまま山に降りてきたかのように真っ白で、まるで別世界だ。

丘に上ると、その頂に小さな三角柱が立っていた。

「分水嶺」だ。分水嶺とは、山に降った雨水が、二つ以上の異なる水系に分かれて流れていく、その境界のこと。この分水嶺の西側に降った雨は富士川、東側に降った雨は荒川、そして南側に降った雨は多摩川になるという。ほんの少し離れた場所に降った雨が別々の川へ流れていくことにも驚くが、それ以上に、この小さな峰があることで、3つもの水系に水が届けられていくことに、感謝に似た気持ちが湧いた。

森を抜けると、霧に包まれた丘が見えた。丘の頂上には分水嶺の石碑があり、富士川、荒川、多摩川の方向をそれぞれ指し示していた。

風が強くなってきた。森の中から次々と霧が生まれては、丘の向こうへと走っていく。いつも見上げている雲は、こんなふうに生まれているのかもしれない。

分水嶺から少し離れた森の平らな場所を見つけ、昼食を取ることにした。小菅村の食堂で作ってもらったお弁当は、地元の食材をふんだんに使ったもの。味が染みたこんにゃくとヒラタケの煮物、青々とした山椒の香りと風味が爽やかな和え物、ワラビのおひたしと、箸が止まらない。

隣では舩木村長たちがシングルバーナーでお湯を沸かし始めた。村役場の皆さんのリュックがやけに大きかったのは、こういうことか。すぐにいい香りがして、「どうぞ」とカップを手渡された。中身は作りたての味噌汁。具のミョウガと大根の葉だけでなく、味噌まで舩木村長の自家製だという。

身体がぽかぽかになって、エネルギーチャージは完了。いよいよ今日の目的地へ出発だ。

登山の楽しみの一つはやはり食事。小菅村の食材で作ってもらったお弁当に加えて、村長お手製のお味噌汁で、冷えた体がしっかり温まった。
ついにたどり着いた! 多摩川の始まり

道は、山の斜面を削って作ったように細くなっていく。右側は急な斜面になっており、底の方は真っ白い霧に覆われて何も見えない。霧雨の降る中、目の前に大きな岩が見えてきた。

「着きました。ここが水干(みずひ)です」

先頭を歩く舩木村長が、岩の下を指差した。水干とは沢の行き止まりのこと。つまり、多摩川の河口から一番離れた湧き水がここにあるのだ。

前日までの雨の影響かジワリと染み出したしずくがポタリと垂れた。多摩川の最初の一滴だ。この水は再び地下へ染み込み、この下の水場という場所で再び沢として地上に現れるのだという。その水はやがて多摩川へそそぎ、138km先の東京湾へたどり着くのだ。

そんな壮大な旅の始まりの場所、水干。その岩の上には石碑が建てられていた。舩木村長が教えてくれた、「水神様」という言葉に納得した。

やっと辿り着いた水干。ここから最初の1滴が染み出し、水の旅が始まる。岩には「水神社」の石碑が建てられ、ここが特別な場所であることを示している

「ここまできたら、行かないわけにはいかない」と誰かが言ったわけではないが、水干に別れを告げ、みんなで山頂に向かった。道はどんどん険しくなり、霧雨が体にまとわりつく。根をよけ、太い枝につかまりながら、アップダウンの激しい獣道のような道を進んでいく。太ももの筋肉が悲鳴を上げ始めた頃、やっと山頂に到着した。

荒い息を整えながら、顔を上げる。けれど、景色は濃い霧のおかげで真っ白に塗りつぶされている。

「せっかくだから、万歳しようか」

カメラマンの一言に、みんなで岩の上に立って万歳をすると、じわじわと達成感が湧き上がってきた。

霧の中、根や岩を避けながらやっと山頂へたどり着き、全員で喜びを分かち合う。すでに太ももの筋肉は震えていたが、急斜面を降りて無事に下山。

いやいや、まだこれから自分の足で下山しなきゃいけないんだ。疲れ切った体に再び活を入れ、1時間半で作場平口へたどり着いた。

翌日、さっそく筋肉痛がやってきた。けれど、筋肉痛の太ももをさすると、あのしんと静かな山と美しい沢の流れを思い出す。遠い海へひたむきに向かう水の壮大な旅は、我々が山を降りた今も続いているのだ。そう思うと、水道から流れ出る水まで、愛おしく感じた。