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DAIWADAIWA

STEEZ 20th Anniversary

STEEZ Lure

泉 和摩

泉和摩泉和摩

「ルアーは結果がすべて。
先が見えないから面白い」

STEEZ20周年を凌ぐ、DAIWA歴35周年。
国内バスフィッシングの父、かく語りき。

1997年3月ワールドプロシリーズ初年度開幕戦、舞台は兵庫・生野銀山湖。現代にも続くJBトップカテゴリー・トップ50の前身が開幕したのは今から28年前のことだった。

まだ肌寒い早春、多くの選手が上流域に集中するなか、ガラ空きの中流域に陣取る選手がいた。狙っていたのは中層3〜4mライン。ミノーをドラッギングで狙いの層まで到達させた後、ジャークで誘う戦略。TDミノーやシルバークリークシャッドなど数々のサスペンドミノーをローテして仕留めていく中で、主力となったのは自身が手がけたHMKLミノーのワンオフ。

日に日にプレッシャーは高まり、ウェイトのアップダウンも激しい上流域。対して、ビッグウェイトこそ難しいが、上流へと向かう段階の個体を連日安定して仕留めることができた中流域。軍配は後者に上がった。

記念すべきJBトップカテゴリー開幕戦の勝者は、泉和摩41歳。伝説の始まりだった。

Hand Made Kazuma's Lure。世では既にHMKLの名は広く知られていたが、その意表をついた釣りは当時のバス界を沸かせた。その釣り方は後に隆盛するヒュンヒュンの礎ともなったことは今でこそ語れる事実だ。

渡米組のパイオニア、
後続へと道を切り拓く

泉和摩

「今回、『新しいミノーを作りたい』というお話をいただいて、私は長年DAIWAさんにお世話になってきたもので断る理由もない。むしろ挑戦してみたい気持ちが強かったですね。契約ですか? アメリカから帰ってきた年ですから、1991年だったと思います」

STEEZは今年20周年を迎えるが、DAIWAと泉の密なる関係はその倍の期間に近く、実に35年となる。

1986年、JBトーナメントの前身・全日本バスプロトーナメントで初代A.O.Y.を獲得した翌年、バスフィッシングの本場・米国のB.A.S.S.へ日本代表として泉を含む数名の選手が派遣。初めての米国、奇しくも釣りの舞台はとあるスモールマウスレイク。見たこともない種、見たこともないサイズが果敢にミノーを襲い、ラージマウスを凌ぐ瞬発力のあるファイト。おそらく日本人で初めてスモールマウスを釣った人物だ。
「何もかもが楽しかったんですよね、アメリカは。そのまま住んじゃいましたよ、4年間。1974年から日本でもハンドメイドでミノーを作っていましたが、向こうでも作りながら試合に出ていましたね」

ポップ-R泉バージョンはあまりにも有名。泉の技術に感銘を受けた当時のトッププロ、ゼル・ローランドが自身のルアーにチューニングを依頼。幾度もの勝利に貢献したことで広く知られ、現地からのオーダーは殺到。日本発信のルアーでいち早く米国で知られたのはHMKLだったのかもしれない。
「ある時、US DAIWAのスタッフ、小野(俊郎)さんたちとテキサスのレイクフォークで一緒に釣りしたことがあったんですよ。ジウジアーロデザインのTEAM DAIWA (1989年発売)を使わせてもらって、それが私にとって剛性が高いと感じた初めてのベイトリールでした。すごいねー、よく飛ぶねー、と感動したこともよく覚えています」

TD1 Hi Tournament。ブラックボディにゴールドの差し色が入った革命機。以降、カラーを変えた同モデルのシリーズに続き、TD-S、TD-X、TD-Z。そして2006年のSTEEZへ。
「1991年から現在までの中で20年間。STEEZは僕のバスフィッシング人生そのものですね」

ロッドとリール、そしてルアーへ。泉とSTEEZの密なる関係はさらに深まる。

ハンドメイドの濃密経験値、
インジェクションへ全集中

泉和摩

ハンドメイドからプラスチックのインジェクション成型。過去にはHMKLとしてK-1やジョーダンなど数々の名作を生み出してきた歴史がある。
「DAIWAさんとやるなら、ただ作るだけでは面白くない。前々から私が思っていたのは、ミノーをより遠くへ飛ばすこと。重心移動がキーになるだろうなと。かつてHMKLでも作ろうと思いましたが、障害が多く実現できなかった。そんな時、DAIWAさんが『うちはありますよ』と。それも磁石を使ったサイレントにできますと」

現在はSTEEZダブルクラッチとして知られるモデルは、細身の水深可変ジャークベイトとして泉が開発。任意の水深までただ巻きで潜らせた後にトゥイッチで誘うのが基本。幅広かつやや高めに配置されたアイにより、ただ巻きで潜り、トゥイッチで横方向にダートを見せ一定層をキープ。サクサス加工を施したサイレントオシレートで飛びも万全。ただその、かつてスマッシュヒットを飛ばしたダブルクラッチには磁石がなかった。
「ロングミノーともなれば、トゥイッチ後にボディが逆さまになってしまう。磁石を使った重心移動がどうしても必要だった。ただ難点は、バルサのハンドメイドであれば内部の腹側に沿って重心を置ける。しかし、インジェクションだと構造上、斜めに入るのでどうしても一番下には置けない」

泉は「システムとしてはもちろん優れている」と前置きしてこう語った。そのデメリットを解消したのはリップの角度と大きさ。ミリ単位で煮詰め「これ以上はない」という限界まで攻めた。
「サイズは130mmクラス。110mmは既に世に数多く存在する。細身のHMKL本栖をベースにしているので、全長の割にはボリューム感がなく食わせやすいのではないかと」

HMKL本栖とは体高の低いミノーの総称。対して体高の高いミノーはHMKL姫と呼ばれる。国内バスフィッシング発祥の聖地・芦ノ湖で古くから基準となってきたのが全長13cm。バスではなく、トラウトの基準ではあったが、敢えてそこにも挑んだという。
「良いルアーって、過去にはラパラがありましたね。若かりし日はマスが釣れるのは良いルアーとされ、マスが釣れるならバスはチョロいとも考えられていたんですよ」

最終テストの舞台はそのまさに芦ノ湖。『HMKLミノーSTEEZカスタム』がいざ完成の瞬間を迎える。
「使ってみたらあっさり55cmの個体。トラウトもよく釣れた。何も問題がない。その後、多くの仲間たちも使ってくれて、使えば釣れることもわかっていったんです」

当時使用していたロッドは『STEEZ 651 MMHRBスペクター』、通称15スペクター。このモデルをベースに、今季は自身が手がけた『C65M/ML-SV・STスペクター』、通称26スペクターが産声を上げる。

生涯現役、錆びない刀。
STEEZと共に

泉和摩

「昔はミノーって春先だけに使うルアーとされていたんですよ。他のシーズンに使うと小さい魚が釣れてしまうと。FFS(フォワード・フィッシング・ソナー)の登場はまさに良いタイミングですね。ミノーは中層で誘って使いやすいハードベイトの代表格。FFSによって、全シーズンでミノーの出番が増えてきましたね」

泉の使い方はシンプルで、「上を意識している魚に対して、2ジャーク1ポーズ」。魚のいるレンジが深いなら、巻いて潜らせてから2ジャーク1ポーズ。ただ巻きでもよいが、食わせのタイミングを作れるポーズは大切だ。
「竿は真ん中から曲がってルアーがしっかり飛んで、硬めのティップでちゃんと動く26スペクター。ミノーの動き、水中の様子が手に取るようにわかる。今はサイズダウン版の11cmモデルも開発していますが、テストがよりスムーズに進むようになってきましたね。長くお世話になってきたDAIWAさんですから、これからもやれることはやっていきますよ」

完全にHMKLのバルサモデルと同様のボリュームで再現されている『HMKLミノーSTEEZカスタム110(仮)』。今後新たなギミックも搭載予定で、本家に迫る実釣性能を身に付け始めている。
「ミノー、細いルアー。他のルアーとは異なる魚っぽい見た目。それでいて、左右に動いたりと機能する。釣りを始めた頃から、これが釣れるという考え方は変わらない。何がよいのか? それがわかっていたら、連戦連勝ですよ、フフフ。結果が出たものこそが答え。先が見えないところが、ルアーの楽しさだと思うんですよ。可能性を感じるでしょ」

賢人かく語りき。現在は国内最高峰トップ50シリーズから一時退き、JB桧原湖をメインに活動。JB草創期から最前線で活躍してきた泉は、その貢献度からトップ50永久シード権を得ていたが、敢えて行使することはなかった。
「ただ続けるより、一度下でやってみて、一番を獲って戻ってきますよ。そっちのほうがかっこいいですからねぇ、フフフ」

泉和摩、御歳70歳。DAIWA WORKS最高齢にして最も長くDAIWAを支え続けてきた男。

生涯現役、錆びない刀。その背中からルアーとは何かを学びたい。

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