TOP
未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
工業都市・豊田市が森林保全に挑む理由
都市に森林を意識させたきっかけとは
 人口約42万人の豊田市。愛知県内で2番目の人口を誇る豊田市は、工業都市としても有名だ。一方で、豊田市は先駆的な森林保全を実行する「森のまち」の顔を持っている。  源流探検部では、これまで源流に目を向けてきたが、森林があるのは源流地域だけではない。そこで地方の中核都市である豊田市は、なぜ、どうやって森林を守っているのか、豊田市の森林政策を長年担当してきた同市職員の鈴木春彦さんに語ってもらった。  製造品出荷額日本一を誇る工業都市・豊田市。市の面積は約918㎢と東京23区の約1.5倍ありますが、その7割にあたる約630㎢を森林が占めています。豊田市が工業都市でありながら、その大半を森林が占める地域となったのは、2005年のこと。7市町村が合併して新しい豊田市が誕生したのです。  合併のきっかけの一つとなったのが2000年の東海豪雨でした。これは、2000年9月11日~12日に愛知県を中心に起こった記録的な豪雨災害です。この時、愛知県内では45ヶ所の堤防が壊れ、300ヶ所の崖崩れが起き、6名の方が犠牲となりました。矢作川中流の都市部だった旧豊田市内でも、矢作川左岸が破堤して一帯が水没しました。これにより、旧豊田市の当時の市長は、「安全安心のためには河川改修等の対策に加えて、上流域の適切な森林管理をして市街地を守らなければ」と強く意識したと聞いています。このことが、矢作川流域で市町村の合併を進める要因の一つとなりました。  実は、矢作川の流域連携の歴史は長く、明治時代から明治用水をはじめとして、下流域の人々が源流の森林を購入して守るなど、連携事業が行われてきました。1978年には県や矢作川流域の市町村、中部電力などによる(財)矢作川水源基金が設立されたほか、1994年には旧豊田市が「豊田市水道水源保全基金」を作りました。これは、水道水を1㎥使ったら1円を積み立てるというもので、そのお金は上流域の森林の間伐などに使われています。  このように、矢作川流域のみんなで水源や森林を守ってきたのですが、合併を機にさらに森林整備に本腰を入れることとなったのです。
人々を植林に駆り立てた好条件とは
 上流の山間地域と合併したことで、豊田市の森林面積は旧豊田市の6倍に増えました。豊田市の森林の特徴の一つは私有林の割合が約88%と非常に高いこと。市の森林の57%が人工林となっています。日本全体の人工林の割合は約40%ですから、豊田市は人工林率が高いと言えるでしょう。  人工林の樹種は全国的にスギが多いのですが、豊田市はヒノキ(55%)、スギ(32%)、マツ類ほか(13%)とヒノキが非常に多い地域です。植林が行われた時代に、ヒノキの価格が高かったこと、東海地方で白いヒノキ材が住宅の材料として好まれたことが理由のようです。  過去の図面や文献、森林所有者へのヒヤリングから、100年前の豊田市の森林率は今の半分程度だったと私は推定しています。というのも、昔の山間地域は最も日当たりの良い場所には田畑がありました。田畑に隣接して家があり、その裏にはお蚕さんのための桑畑がありました。他にも、茅葺き屋根のための茅場を地域で共有していたほか、田畑周辺には広大な草刈場(一説によると田畑の10倍以上の面積)があり、そこで刈った草を田畑の肥料にしていました。このように、「森林ではない土地」がかなりあったのです。  ところが、1960年代にエネルギー革命が起こり、それまでの薪や炭が電気やガスにとって代わられ、肥料は購入されるようになり、茅葺き屋根も減っていきました。茅場も草地も桑畑も必要なくなったうえ、自動車などの工場へ働きに出る人も増えたため、耕作できる田畑も減っていきました。使わなくなった土地に木を植えようということになり、1960年代以降に人工林が急激したのです。  実は、この当時の拡大造林は、現在の再造林よりも好条件が揃っています。というのも、伐採後の森にはどうしても木の根や枝葉が残っており、それを取り除くのも大変です。しかし、拡大造林で植林した場所には枝根等が少ないですから植えるのが容易です。今のように苗を鹿に食べられる心配もなく、過疎化に悩む今の山間地域と違って労働力も充実していました。  豊田市には、「尾根マツ沢スギ中ヒノキ」という言葉があります。  これは、「土地の痩せた尾根にはマツ類を、沢筋には湿度を好むスギを、尾根と沢の間にはヒノキを植えよ」ということ指しています。実際、豊田市の人工林の多くはこのように植え分けられています。林業者でない当時の人々も、この「尾根マツ沢スギ中ヒノキ」を実践していたことからも、植林が身近だったと言えるでしょう。
2005年に矢作川流域を中心に7市町村が合併した豊田市。工業都市でありながら森林が7割を占め流。矢作川の上流に渓畔林が広がる。
合併時の最重要課題は過密人工林
 合併当時の森林の課題は、これは東海豪雨の原因の一つにもなった過密人工林の多さです。1960年代に積極的に植林を行ったものの、その後は手入れもしなくなったためにヒョロヒョロな木が密集し、林の中は真っ暗という人工林です。こうしたヒョロヒョロの過密人工林は「そうめん立ち」と呼ばれ、強い風が吹くと倒れやすくなっています。  加えて、豊田市では特に矢作川沿いに急傾斜地が広がっていました。急傾斜地でそうめん立ちの過密人工林があると、沢抜けが発生しやすく、大きな被害が起こる危険性があります。  こうした森林の状態を受け、豊田市では2006年度に「豊田市森づくり条例」を制定し、それに基づく「豊田市100年の森づくり構想」を策定しました。  これは、100年先を見据えた森づくりの方向性や基本的施策の考え方を示したものです。  この「豊田市100年の森づくり構想」では、過密人工林にフューチャーし、間伐を進めました。1本でも多く木を伐ることを目指して年間に1,000ha前後の間伐を実施。10年続けて1万haに達して過密人工林が減り、成果が出てきました。  そのため、間伐が進んだ現在の状況に合わせた施策が必要になります。そこで、2018年に「新・豊田市100年の森づくり構想」(以下:森づくり構想)を新たに策定したのです。
豊田市では合併後に「豊田市100年の森づくり構想」を策定。過密人工林を減らし、現在は新たな課題に取り組んでいる。
状況変化に合わせて作成した新たな森づくり構想
 新しい森づくり構想には新たに付加した三つの柱があります。  それが、①木材利用、②保全のガイドラインの作成、③現場人材の育成と運用です。  まず①木材利用について。  豊田市の森林は急傾斜地が多く、間伐の7〜8割は伐採した木を細かくしてその場に置いてくる「切り捨て間伐」(豊田市では「切置き間伐」と呼んでいます)でした。材も細く、搬出しても利益にならないためです。しかし、胸高直径30㎝前後の太いスギまで切り捨て間伐するのはもったいない。利用段階に入った材分では生産にも力を入れようと方針を定めて、豊田森林組合は高性能林業機械を6セット揃えて木材生産体制を強化しています。  また、急傾斜地に対応した集材システムの導入方針も掲げました。前述の高性能林業機械はコンマ3.5の比較的大きなサイズの機械で、3~3.5m幅の道が必要ですが、急傾斜地でこのような道を入れるのは崩壊リスクを高めるため避けなければいけません。そこで、山に架線を通して伐採した木材を運ぶタワーヤーダーの導入プロジェクトを森林組合と市とで立ち上げ、現地検討や海外視察等を行いながら導入に向けて現在動いています。タワーヤーダーを使って急傾斜地に応じた集材システムを定着させることで、集材できる範囲も広がります。これは①の木材利用につながるとともに、災害リスクを低減させる作業システムでもあるわけです。  次に②保全のガイドラインの作成です。  人工林が利用期に入ったこともあって、今後は皆抜が増えていくことが予想されます。しかし、地形によっては、皆伐によって災害の危険性が高まってしまいます。そこで、どのような地形ではどのくらいまで皆伐を抑えるべきか、専門家の先生と一緒にガイドラインを作ることにしたのです。  どんな地形が危険なのか、ガイドラインの内容については、次回詳しくお話ししましょう。
愛知県豊田市職員の鈴木春彦さん。北海道大学農学研究科で林政を研究後、北海道標津町を経て豊田市で林政を担当してきた。
 日本では2000年前後にいわゆる平成の大合併が行われた。これにより、1999(平成11)年には日本全国に3,232あった市町村の数は、2005(平成17)年には1,730までに減った。そこからさらに減り、2021(令和3)年には1,718となっている。  市町村の数が大幅に減るということは、行政の管轄範囲が広がるということ。それまでは工業都市や商業都市、ベッドタウンだった町や市が、合併によって源流や森林を管轄することになった例は日本各地にあるはずだ。そうした地域にとって、森林保護(保全)に本気で取り組む豊田市の事例は、参考になると言えるだろう。 鈴木春彦 プロフィール 北海道大学農学研究院修士課程(森林政策学)を修了後、北海道標津町にて林政を担当。2012年から愛知県豊田市森林課にて森林専門職として林政に携わる(2021年度は森林課を離れ他部署で勤務)。技術士(森林部門)、地域森林総合監理士。共著に『森林未来会議 森を活かす仕組みをつくる』(築地書館)。 取材・文=吉田渓 写真=鈴木春彦氏提供