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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。 会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
凍てつく滝の前で行なう源流の村の占い(岩木川源流)
世界遺産の水が育んだ源流の村の特別な食べ物
 除雪した雪があちらこちらで堆く積まれ、白い壁や山を作る。それでも西目屋村の人々は「今年は雪が少ない方ですよ」「今日は暖かい方ですよ」と穏やかに笑う。 青森県中津軽郡西目屋村は豪雪地帯であり、白神山地を擁する村だ。その白神山地の雁森岳から始まる暗門川は、岩木川の源流だ。つまり、西目屋村は世界遺産の村であり、源流の村なのだ。しかも、村からは津軽富士の別名を取る美しい岩木山を臨むこともできる。  そんな自然豊かな西目屋村で迎えた朝、ある工場を訪ねた。 ここでは、村の源流文化を伝える「あるもの」が作られているという。 水も空気もキリッと冷える中、工場の中は湯気に包まれていた。「今、豆乳をしぼっているところです」  白い作業着と帽子に身を包んだ若い男性スタッフが教えてくれた。一晩じっくり水に浸けた西目屋産の大豆を砕いてから釜で炊き、二重にした布に入れて漉しながら豆乳を絞り出しているのだという。ここで作っているのは、西目屋村特産の目屋豆腐だ。  昔ながらの製法にこだわって作られた目屋豆腐は、村の人はもちろん、今や村外からもわざわざ買いに来る人がいる人気商品なのだ。  昔から川原平地区や砂子瀬地区などを中心に作られていた、西目屋村の目屋豆腐。当サイトの前回(Vol.44)で登場してくださった白神マタギ舎の工藤茂樹さんも、目屋豆腐を食べていた一人。 「昔は結婚式や特別な時に『豆腐でも作るか』という感じで作っていたんですよ。自分の畑で作っていたから大豆なら家にあるし、いい水もあるし」と工藤さんも言っていた。
炊いた大豆を2枚の布袋で漉すとクリーム色の豆乳があふれ出る
目屋豆腐は昔と同じく西目屋村産の大豆を使って作られている
 しかし、目屋豆腐は時代の変化とともに作る人も減っていった。そんな時、「そういえば最近、目屋豆腐を食べてないね」という声が上がり、津軽ダム水源地域ビジョン推進協議会やブナの里白神公社などが中心となって、目屋豆腐を復活させたのが2012年(平成24年)のこと。目屋豆腐を製造販売するブナの里白神公社・支配人の角田克彦さんは、こう話す。 「目屋豆腐は水の冷たい11月から5月のゴールデンウィークまでしか作れない、昔ながらの無添加の豆腐なんです。豆の味が濃く、型崩れしにくいのが特徴なんですよ。冷奴でも美味しいのですが、煮崩れしないので肉豆腐や麻婆豆腐にしても美味しいんです」(角田さん)  昔は湧き水で作っており、家によって味が違ったのだとか。まさに源流が生んだ源流文化だ。 「目屋豆腐を作れる方から教わったのですが、それぞれの家の味があったため、『自分の知っている目屋豆腐と違う』という意見もありました。また、最初の頃は3回に1回しか固まらなかったり・・・。一番目屋豆腐らしい味のものを確実に作れるように改良を重ねて、今の目屋豆腐に行き着いたんです」(角田さん)
型崩れしないのにふんわり。極上の目屋豆腐
 かつて豆腐を作っていた方から譲ってもらった道具を使い、昔ながらの作り方にこだわる。そのため、1回に作れる豆腐は40丁。それを3回行なうので、1日に作れるのは120丁まで。しかも無添加だから賞味期限は3日間。そのため、村まで買いに来られる県内、特に津軽地方でほぼ消費されている。値段は1丁200円。 「昔はこの目屋豆腐をお歳暮や手土産にしたそうです。そのため、『知人や親戚にあげたい』と、この目屋豆腐を大量に買ってくださる方もいますね」(角田さん)  工場では豆乳をしぼる工程が終わった。まだ湯気の立つ豆乳を試飲させてもらう。口当たりが滑らかで、ほんのり甘い。そして何より味が濃い。こんなに美味しい豆乳は初めてだ。  しかし、ここは豪雪地帯だ。しぼりたては温かい豆乳も、油断するとあっという間に温度が下がってしまう。鍋に入れた豆乳を火にかけ、80度まで上げてから苦汁(にがり)を加える。それを型に入れて、しっかり水を抜く。15分ほどかけてしっかり水抜きをすると、プルプルの巨大な豆腐が出来上がった。それを水の中に入れ、縦横に包丁を入れる。たっぷりの流水に浸して内部の熱を取れば、水の豊かな源流の豆腐の出来上がりだ。この水の冷たさこそが、目屋豆腐の美味しさを作っているのだ。  村の社交場でもある白神館のレストランで、目屋豆腐を頂いた。まず冷奴を食べる。豆の味がダイレクトに伝わってくる。次は肉豆腐だ。肉汁をたっぷりと吸った豆腐は、型崩れもせず、それでいて柔らかい。冷たく澄んだ水が育てた源流文化がここにあった。
型に入れて水を抜くと豆腐の完成。これを線に沿ってカットする
目屋豆腐を製造販売しているブナの里白神公社・支配人の角田克彦さん
弘前藩も頼った、源流の郷の占い
 さて、この日はもう一つ、この村で育まれてきた源流文化を目撃するチャンスがある。村の一大イベントである、乳穂ヶ滝(におがたき)氷祭りだ。乳穂ヶ滝の前でその年の作柄を占うというもの。藩政時代には、弘前藩もこの滝の凍り具合で作柄を占ったらしい。 「昨年は滝の上から下まで一本に結氷したのですが、今年は暖かい日と寒い日が交互に来て、途中で落ちてしまったんです」  西目屋村建設課・課長補佐の前山浩さんがそう教えてくれた。しかし、雪に覆われた乳穂ヶ滝は、そんなことが気にならないほど神秘的な姿を見せてくれた。  岩山から滴る滝の水は筒状に凍り、まるで精巧に作られたガラス細工のようだ。そこから滴る水はキラキラと光を放ちながら凍った滝壺へ舞い降りていき、氷の山を作る。 滝の背後では、庇のようにせり出した岩を屋根にして、不動尊や山の神様、龍神様やお稲荷様、お薬師様が祀られている。この神秘的な滝が信仰の場となったのも分かる気がする。  滝の手前、弘法大師像の前には、この日のために四方に榊を立てて結界が張られている。そこで待っていると、遠くから笛の音が聞こえてきた。お囃子に先導され、この豊凶占いを守り伝えてきた名坪平(なつぼたい)地区の人々と山伏の参拝行列が現れた。雪景色に響く、法螺貝の音。すでに滝には大勢の見学者が集まっている。  参拝行列が到着すると、玉串奉納と護摩祈祷が始まった。読経の声にシャンシャンと仏具を振る音が重なる。山伏の「不動明王!」という声を合図に、こんもりと盛られたスギの枝葉に火がつけられた。煙が上がり、その熱の影響なのか周囲の木の枝から雪がパラパラと落ちてくる。風向きが刻々と変化し、煙は見学者を平等に包んでいく。ここに集う人が願い事を書いた護摩木が次々と火にくべられていく。そして、クライマックスがやってきた。
乳穂ヶ滝を見上げる位置に結界が張られ、護摩祈祷や火渡りが行われる
護摩祈祷では人々が願いを込めた護摩木が火にくべられていく
気になる今年の天候と作柄を自然から読み解く
 火をつけた三本の松明が、雪の中に立てられ、紺色の法衣をまとった女性がその前に立った。火の燃え具合から作柄を読み解く「カミサマ」役の人だ。「カミサマ」が口を開く。 「今年は雨が心配です。台風が寄り、突風がくる。暑さは昨年並み。作柄も昨年並み」  じっと耳をすませていた地元の人らしき年配女性がウンウンと頷く。そして、「大事なことはもう聞いたから、さあ帰ろう」と連れの人と言い合い、見学者でごった返す会場を後にした。地元の人にとって、この滝で行われる作柄占いこそが何より重要な情報なのだろう。  結界の中では、火をつけたスギの枝葉の上を歩く火渡りが始まった。山伏が裸足で火の上を歩くと、見学者からどよめきが起こる。地元の人や見学者は靴を履いてはいるが、次々と火の上を歩いていく。源流探検部も、参加させてもらうことにした。火をまたいで歩くのは一瞬のことなのに、不思議な高揚感がある。厄払いをして、冬から春へと気持ちが切り替わるような気がする。  祭りが無事に終わると、名坪平地区自治会長の田澤明彦さんがこんな話をしてくれた。 「この祭りは、私らが物心ついた頃からやってるねえ。昔は、この辺りもほとんどが農家で田んぼをやってたから。作柄占いは、お米だけじゃなく、農作物全般を占うもの。前は旧暦の2月28日に決まっていたんですよ」
山伏が素足で火の上を歩くとどよめきが起こった。地元の方や見学者は靴を履いたままその後に続く
名坪平地区自治会長の田澤明彦さん。乳穂ヶ滝の豊凶占いは昔から名坪平地区の人々によって行われてきた
 乳穂ヶ滝は名坪平地区の人々にとって思い入れのある場所のようだ。 「田んぼ(田植え)が終われば、滝の前でみんなで飲んで、豊作になるように祈ったものですよ。夏になればこの辺りは涼しいしね」  世界遺産・白神山地から始まる岩木川と、信仰の場として大切にされてきた乳穂ヶ滝。源流によって育まれてきた文化と暮らしは、この土地の人々によってこれからも大切に受け継がれていくことだろう。