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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。 会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
「わしの淵」の心が守る清流(高津川)
ダムを持たない川がきれいであり続けた理由
山口宇部空港から車で約1時間半。山陽新幹線新山口駅からならば、約1時間15分。山林を貫く道の先に、江戸時代の面影を残す街並みが現れた。掘割沿いに武家屋敷のなまこ壁や商家が連なり、ゆったりとした時が流れる。 ここは、山陰の小京都とも言われる島根県津和野町。国土交通省の全国一級河川の水質現況調査で「水質が最も良好な河川」に何度も選ばれた、高津川中流域の町でもある。 いつも源流域ばかり訪れている源流探検部としては、清流の中流域もぜひ見ておきたいもの。さっそく高津川へ向かった。 源流域は、大切なものをそっと包むように渓畔林で覆われているが、中流域の川幅はもっと広い。ゆったりと流れる蒼い高津川に、太陽光がたっぷりと注ぎ込んでいる。秋の柔らかい日差しが透き通った水を貫き、川底をたゆたう。そっと覗き込むと、2〜3cmの魚影が怯えることなく元気よく行き交っている。穏やかな光景を前にして、源流探検部のメンバーも自然と無口になる。耳を澄ませて、目を凝らし、目の前の景色を味わった。
島根県西部の吉賀町を水源とし、中流域の津和野、下流の益田市を経て日本海へ注ぐ高津川
地元の人の高い意識が守る川と沿岸の環境
「あのきれいな高津川は、どうやって守られてきたのんですか?」 津和野町を訪ねて最初に出会った田中誠二さんに、思わずそう尋ねた。田中さんは津和野町の中でも特に自然の豊かな左鐙(さぶみ)地区で生まれ育ち、高津川漁協でアユの中間育成に30年間携わった後、地元の農畜水産物を扱う高津川倶楽部という会社を作った人だ。 「高津川の流域の人々は、昔から環境に対する意識が高いんです。私の知る限りでは、45年ほど前から有機農業が行われているんですよ」 実は田中さんは大学進学を機に、故郷を離れている。1974年に大学を卒業すると、神奈川県厚木市にあるクリーニング工場に就職。そこで任されたのは、厚木市の厳しい水質基準をクリアできるような汚水処理の方法を探し、導入することだった。 「いろいろ調べて、会社にも合成洗剤の使用を極力抑えて純脂肪酸洗剤の使用をお願いして、水をきれいにしてから相模川に流す方法を模索し続けました。ところが、地元に戻ってきたら、左鐙の婦人会では環境に優しい純脂肪酸石鹸を自分たちで作って使っていましたから。これには本当に驚きました」 地元の方々の自然に対する意識の高さの背景にあるのが、鮎の存在だという。 「高津川では昔から、丈高(たけだか)漁や毛がけ網、竿釣り、火振り漁など、さまざまな方法で鮎を獲り、食べる文化があります。流域ではたいがいの人が林業をしながら川漁師をやっていたので、家のそばの漁場を『わしの淵』『わしの瀬』として大切に守ってきたんです。私も子供の頃、父に連れられてよく鮎漁に行きました。転職を考えた時、『相模川をきれいにできたのだから、高津川もきれいにできるのでは』と思ったのは、鮎漁の思い出があったからでしょうね」
高津川漁協で30年間、鮎の中間育成に携わった田中誠二さん。現在は地元の農畜産物の販売に携わっており、津和野町で行われた源流サミットでは地元の天然鮎を振る舞った。
流域の人々が大事に守ってきた高津川は、一級河川では珍しく、支流も含めてダムが一つもないと言われている(厳密には、支流の福川川に洪水調整のための砂防ダムがあるが、普段は貯水していない)。 そんな高津川には鮎の他にもウナギやイシドジョウ、ギギ、オヤニラミ、モクズガニなどさまざまな魚介類や甲殻類が棲息しており、その数は70〜80種類と言われている。 今以上に高津川で鮎が取れた時代は、鮎漁でかかった他の魚は捨ててしまう人が多かったそうだ。しかし、田中さんが運営する高津川倶楽部では、鮎以外の魚を使い、「ざこせん」という煎餅を作って販売している。 「『5ヵ月間の鮎漁で国家公務員より稼げる』と言われた30年前と違い、鮎も川漁をする人も減っています。それでも、川漁の楽しさを子供たちに伝えていかなければと思っています。流域でいろいろな活動をしている人たちと一緒に、年間を通じて子供たちに山のことや川のことを教えていきたいですね」
住民と町が守る津和野町の川と山
津和野町の下森博之町長も、高津川の豊かさに育まれた一人だ。 「学校が終わると川に行き、泳いでいました。実家が酒屋だったので、一升瓶を入れる木箱を使ってウナギの仕掛けを作ったりもしました。夕方、川に沈めておき、朝になって引き上げるんですよ。毎日遊んでも、川には常に発見がありましたね」 下森町長の亡き母も、高津川を愛した一人。母は「明日の左鐙を創る会」のリーダー的存在で、地元の人から県知事まで参加した「天然の鮎を食う会」を主催していた。 「私は26歳で地元に戻ってきたのですが、『川で楽しみながら自然を守っていこう』という意識を母から受け継いだように思います」 そんな下森町長は、津和野町の魅力をこう教えてくれた。 「平成27年に文化庁より日本遺産の認定を受けた『津和野百景図』には、高津川を泳ぐ鮎を描いた『左鐙の香魚』をはじめ、津和野の名所や食文化などが描かれています。百年前に描かれた自然や光景を現在も味わえるのが、この町の魅力ではないでしょうか」 昔から人々が「わしの淵」や「わしの瀬」を守ってきた津和野町。現在では、地区ごとの河川愛護団が川原の草刈りなどを定期的に行っており、町も支援しているという。 「平成25年(2013年)には観測史上最大の集中豪雨に見舞われ、激甚災害に指定されるほどの被害を受けました。それでも、山の手入れができていたので、最低限の被害で済んだのですが、より多面的な治山治水が必要となります。町では平成28年(2015年)に『津和野町美しい森林(もり)づくり条例』を制定し、翌年には住民の意見を取り入れた『美しい森林づくり構想』を策定しました」 これは、山の手入れをすることで、美しいだけでなく、水源を保全し、流域を守る森林を作るというものだ。
高津川とともに子供時代を過ごした津和野町の下森博之町長
上流の吉賀町、下流の益田市と連携して開催した「第9回全国源流サミットin島根県津和野町」では実行委員長を務めた
「町独自の取り組みに加えて、高津川流域の益田市、津和野町、吉賀町の3市町では『益田地区広域市町村圏事務組合』を組織し、介護や消防、ごみに関する事業を共同で行っています。さらに、民間の方々の川など自然を守る取り組みに対して事務組合で予算をつけ、支援もしています」 通常、漁協は自治体ごとに作られるが、高津川漁協は流域の3市町で構成されている。源流の吉賀町、中流域の津和野町、下流域の益田市は、昔から高津川を軸にまとまってきたのだという。この取材の時期に開催された「第9回全国源流サミットin島根県津和野町」は、津和野町を中心に吉賀町、益田市の3市町で実行委員会が組織された。 「こうした高津川を通した連携の他にも、津和野町出身の森鷗外のご縁で東京都の文京区とも交流協定を結んでいます。町内には文京区との友好の森もあるんのですよ。ここは美しい森林づくり構想のモデル林にもなっていますので、ここを舞台に都会の子供たちにも川がどう守られているかを知ってもらえたらいいですね」。
上中下流の3市町が連携して源流サミットを開催
10月20日に津和野町で行われた源流サミットを、源流探検部も取材見に行くことにした。今年のテーマは、「つながって、まもろう。未来に向けた、川のある暮らし」。 ちょうどサミットと同じ時期に、高津川を舞台にした映画を撮影中の映画監督・錦織良成さんの基調講演のほか、パネルディスカッションが行われた。パネラーを務めたのは、多摩川源流研究所所長の中村文明さん、高津川で環境保全活動を行うNPO法人アンダンテ21(益田市)理事長の渡邉勝美さん、高津川の水生生物調査を行っている高津川不思議探検隊(吉賀町)隊長の吉中力さん、津和野町農林課課長の久保睦夫さんの4名。東京農業大学宮林茂幸教授がコーディネーターを務めた。
源流サミットでは、主催地の高津川流域の実例報告を交えながら、流域連携の意義や、社会資本としての源流を社会にアピールしていく重要性について議論が交わされた。
川遊びを通じて流域の生業や生き物について子供たちに伝える渡邉さんや吉中さんの活動について、多摩川源流研究所所長の中村さんは「源流の価値を知ってもらういい機会になっている」と評価。一方、津和野町農林課の久保さんは「中間山間地域ではエネルギーと食料の自給ができれば人は集まる」として、高津川流域の3市町の連携の重要性を強調。コーディネーターの宮林教授が「上流から下流まで流域が一体化し、源流は社会資本だとアピールしていきましょう」と締めくくった。 パネルディスカッションでも登場した、「源流力」という言葉。源流という自然は人々の生業を支え、力を与え、文化を育んできた。そんな「源流力」とも呼ぶべき全国の源流の魅力、そして豊かな川と海を育む源流の価値を、これからも源流探検部で紹介していこう。