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未来を拓く源流新時代の幕開け ~全国源流の郷協議会~
全国各地の河川の最上流に位置する自治体が結集し、平成17年11月に「全国源流の郷協議会」が発足しました。 日本の源流域は、国土保全や環境保全の最前線に位置しており、河川の流域だけでなく、我が国にとっても非常に重要な地域となっています。 会員一同その責任を自覚し、源流域の環境などを保全に務めておりますが、源流の恵を共有する流域の皆さんと一緒に活動していくことが必要です。 当協議会では、源流地域の重要性を多くの方々に理解していただき、源流域が存続していけるよう源流基本法の制定などを提案し、その実現に取り組んでおります。
四万十川の源流に残る「地球の始まり」の化石(四万十川源流)
徒歩25分で見に行ける四万十川の源流点
ゆったりと広い川に沈下橋がかかり、背後に連なる山々が流れる水を見守る。まさに、「日本最後の清流」。そう称される四万十川の名前と情景は、川をフィールドに楽しむカヌーや釣りが趣味の人でなくても、知っている人は多いだろう。 しかし、四万十川の源流についてはどうだろうか。「歩いて25分で」四万十川の始まりの場所に行けることは、意外に知られていない。最後の清流が生まれる場所を歩いて見に行こうと、源流探検部は夏の終わりの高知県へ飛ぶことにした。 高知県高岡郡津野町。この町の不入山の東斜面に、「四万十川の源流点」があるという。高知龍馬空港から車で1時間半ほど走り、四万十川に差し掛かったところで、国道197号線を曲がる。山道を上っていくと、急斜面の棚田に黄金色の稲穂が揺れているのが見えた。日本の原風景とも言える光景に見とれているうちに、津野町船戸地区にある「四万十川源流センター せいらんの里」に到着した。源流点に最も近いこの宿は、地元・船戸地区の住民の方によって運営されているという。 ここで待っていてくれたのが、四万十川源流点のガイドである谷脇幸秀さんだ。 「源流点言うんは、表面水として最初に流れ出ているところやね。その先にも水が湧いているところはあるんやけど、木や草に覆われて見えんが(見えない)。けど、源流点なら渇水期でも表面水が滝のように流れ出て見えるが・・・」 すぐにでも見てみたいが、すでに日は沈みかけている。せいらんの里に一泊し、翌朝連れて行ってもらうことにした。
今回、源流探検部が訪れたのは、四万十川の源流点。高知県津野町の不入山にある。
翌朝、谷脇さんは、この町で2台しかないというタイの三輪自動車、トゥクトゥクで迎えに来てくれた。下界はまだ夏日だというのに、トゥクトゥクで山道を上っていくと、長袖を着ていても風がひんやりと感じられて気持ちがいい。 「はい、到着しました」と谷脇さんがトゥクトゥクを停めた目の前の大きな岩には、「四万十川源流之碑」の文字。ここは、四万十川源流点までの登山道のスタート地点なのだ。すでに標高は900mあり、源流点では1,010mになるという。
登山道の入り口。「四万十川源流点登山口」の小さな看板と「四万十川源流之碑」と書かれた大きな岩が目印。
ほとばしる湧き水の美味しさに感動
 「不入山は、もともと土佐藩の御留山(おとめやま)やったき」  先頭に立って登山道を歩く谷脇さんが言う。御留山から国有林となっただけあって、ツツジやシャクナゲ、ヒメシャラ、コウヤマキ、植林されたスギなど、さまざまな樹種が葉を茂らせている。  「もともと、源流点までは今とは違う道があったんやけど、平成5年(1993)年に『源流之碑』ができた時、『せっかくやったら、谷沿いの景色のええ道を作ろう』と地元の人がボランティアで登山道を作ったワケよ」  もちろん、谷脇さんもボランティアに加わった一人だ。歩き始めて5分ほどした頃、谷脇さんが足を止めた。大きな岩の間から水が流れ出ている。湧き水の「やまびこ水」だ。  「苔で岩が赤くなっちゅう。ここはいつも同じ水温、同じ水量で、夏でもずっと水に手を入れてると冷たいくらいやきっ。美味しいから飲んでみて」  水に洗われ続けた岩肌に触れてみると、ツルツルしている。その水は驚くほど冷たい。手にすくって飲んでみると、きりっと冷えた湧き水の美味しさに驚く。いや、無味無臭で、言葉にできるような味も香りもない。それなのに、一口飲んだだけで美味しいと感じるから不思議だ。これこそが、山に磨き抜かれた水の本当の美味しさなのかもしれない。
源流点へ向かう登山道の途中にある湧き水「やまびこ水」。山に磨き抜かれた湧き水はキリッと冷えて、この上なく美味しかった。
案内してくださった谷脇幸秀さん。船戸地区で生まれ育った谷脇さんは、四万十川源流点のガイドとして多くの人を案内している。
必要以上に整備しすぎていない登山道には、豊かな自然が残っている。 「この赤くてツルツルした木がヒメシャラ」「この背の低いのはツルシキミ。自生しているのは珍しいが」。 歩きながら、谷脇さんが説明してくれる。川の石を退けると、サンショウウオが現れることもあるそうだ。 森のあちこちに目をやりながら歩くこと、約25分。 「ここからは、お先にどうぞ」 先頭を歩いていた谷脇さんが、そう言って源流探検部に道を譲ってくれた。すぐそこに、四万十川の源流点があった。
登山道入口からゆっくり歩いて約25分でたどり着いた、四万十川の源流点。
源流点には、全長196kmの四万十川の始まりであることを示すポールが立っている。
 「ついこの前まで長雨やったき、水量がいつもの3倍はあるが。左の湧き水の流れは、いつもはないもんやきっ」  谷脇さんがそう教えてくれた源流点の水は、湧き水と表面水が渾然一体となり、苔むした岩を滝のように滑り降りてくる。今この瞬間に山から水が生まれ出ているかのような光景に、水が山の恵みであることを実感する。  源流点のすぐ脇には、大きな岩が佇んでいる。一見すると崖のようなその岩の上に、木がしっかりと根を張っている。この付近には、こうした大岩を抱くように生えている木がいくつもある。高知県では、水害による浸水などの被害はあるが、土砂崩れは少ないそうだ。岩や土をしっかり抱え込むたくましさこそが、源流の山林の力強さと包容力の源なのかもしれない。小さいながらも豊かで力強い源流点の光景が、山に抱かれてゆったりと流れる四万十川のイメージとピタリと重なって見えた。
源流の鍾乳洞に残る2億2千万年前の石灰岩
 源流点から戻ると、次に谷脇さんは稲葉洞へと案内してくれた。稲葉洞は、四万十川を挟んでせいらんの里の向かい側にある鍾乳洞だ。  「稲葉洞の中では一年中、水が15〜18℃に保たれているき。四万十川の水は、この稲葉洞にいったん入ってまた吹き出してくるき、このあたりの岩にはセイランが着くんよ」  セイランとは、川のりのこと。水温が15度前後で木漏れ日が差し込み、なおかつ酸素をたっぷり含んだ水でないと育たないという。四万十川の中でも、ここは稲葉洞があるおかげでセイランが岩に着く、珍しい場所なのだ。  せいらんの里で借りたヘッドライト付きのヘルメットを全員が被り、いざ稲葉洞へ。稲葉洞には龍神様が住んでいると言われており、入り口には小さな祠 が建っている。龍神様にご挨拶をして稲葉洞の入り口に立つと、穴の奥からひんやりとした冷たい風がこちらに向かってくる。外界とはまったく違う世界がこの中に広がっている予感がする。  ドキドキしながら入口のロープをつかみ、縦穴をゆっくり降りていく。下りきると、穴は横穴になる。ヘルメットをかぶっていることを忘れて頭をあげると、すぐにゴツンと岩肌にぶつかってしまう。
四万十川の源流にある鍾乳洞、稲葉洞。入口の縦穴をロープにつかまって降りて行く。
 屈まずに立てる場所まで来て顔をあげると、そこには驚くような光景が広がっていた。 鍾乳洞の岩肌は細かく波打っていて、まるで龍の鱗を押し付けたかのようだ。石灰岩の中を龍が通ったところが道になったのではないかと想像が膨らむ。  水音が聞こえる方に進んでいくと、小さな川が流れていた。これは、すぐそばを流れる四万十川の水だという。真っ暗な鍾乳洞の中に川が流れているのはなんとも不思議な光景だ。
稲葉洞の内部。ヘッドランプで照らすと、細かく波打った岩肌が浮かび上がった。
奥から聞こえてくる水音をたよりに進むと、鍾乳洞の中に小川が。四万十川の水だという。
 谷脇さんが、さらに奥へと案内してくれた。  「ここは、白龍のお腹の中って言われゆうが。ここは地球の始まりやきっ」  この鍾乳洞の地層は、およそ2億2千万年前の礁(リーフ)なのだという。礁とは水面下にある石灰岩だ。まだ大陸が一つに繋がっていた時代の礁は一年に数センチずつ移動し、今の場所にたどり着いた。2億2千万年前の礁が陸地で見られる場所はとても少ないうえ、礁には、当時の大気や生き物の遺骸が含まれている。そのため、2008年にはジュネーブ大学のロザンナ・マルティーニ教授と鹿児島大学の尾上哲治助教授(所属大学と肩書きは当時のもの)が稲葉洞に調査に訪れている。言ってみれば、この鍾乳洞の石灰岩は「地球の始まり」の化石というわけだ。  谷脇さんがヘッドライトを岩肌に向け、指を差す。  「この縦長の白いものは、メガロドンいう二枚貝。こっちの丸いのと細長い線みたいなのは、サンゴ。よく見えるやろ?」  谷脇さんがそう教えてくれた岩肌を見ると、確かにそこには生き物の痕跡だとわかる模様がある。「四万十川の始まり」を見に来て、まさか「地球の始まり」に触れるとは思わなかった。鍾乳洞の岩肌をそっと指で撫で、地球が積み重ねてきた、とてつもない時間に想いを馳せる。
石灰岩を龍が貫いてできたかのような洞窟は、「白龍のお腹の中」と呼ばれている。
2億2千万年前の地層の白い部分は、二枚貝のメガロドンの化石。同じ地層にサンゴの化石もある。
 私たちが生きている地球は、地球そのものが一つの大きな生き物なのではないだろうか。だからこそ、一つの森、一つの山、一つの川を大切にすることが、この大きな生き物を大切にすることにつながるのだろう。
 龍が通ったような鍾乳洞の中で、体を屈めながら来た道を戻る。細く冷たい縦穴から出ると、温かい太陽の光と山林を流れる四万十川の水音に包まれた。
 四万十川は日本の貴重な財産、次世代に引き継ぐために何をすべきか・・・、刺さるような地球の声が聞こえる旅の一片であった。